紅梨の気分で更新されたりされなかったり。気まぐれブログ。
«04 | 2025/05 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 06» |
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
つまり、紅梨は人を束ねるのが苦手な人種なのです。
一般に、この世界では一人一人の“個性”というのが認められていますね。 もちろんそれは素晴らしいことだと思います。 しかし、『話し合い』などの公の場だと、“個性”の数だけ“意見”があって、その数多の意見全てを尊重するなんていうのは、本当に難しいことで。。
つまり、意見がまとまらないんですね。
分かりきったことではありますが、理想である“民主主義”を実現させるのは、とっても難しいことだ、ということを改めて思いました。
対立しあう“個性”
対立しあう“意見”
どっちの個性も意見も良いのに、どっちとも生かすことはできない。 いわば、どっちかが死ななきゃならない。
こんなに悩ましいことは無いと思うのです。
でもいつまでも悩んでいては前に進めないから、結局多数決になる。
多い方が生かされて、少ない方が殺される。
そういった意味では、“人を束ねる”ということは、残酷なことのように思えます。
だから、私は人を束ねることが苦手なんですね。
もちろん割りきることも出来なくはないんですけれど。。 まぁ、性分といいますか。 “殺す”くらいなら、“殺される”方がいいと思うのです。 もちろん、“生かされる”可能性もありますが。
つまり、紅梨は、ただの意気地無しなのです。
……という、ただの“考えすぎ”。
PR
この記事にコメントする